どうもこんにちはしょうや社長です!
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いつもyoutubeで僕の動画を見てくださっている場合は、初めましてではなくて改めましてですね(笑)
あなたがいつも僕のYoutubeの動画を見てくださっている場合は、僕が雲の上の存在のように見えるかもしれません。
ですが、これからお伝えさせていただく話を最後まで聞いていただければ、僕のことを少しは身近に感じていただけると思います。
なので、僕のことを少しでも知っていただくためにも、今から僕の昔話をさせてください。
出身は鳥取県の小さい町で、お父さん、お母さん、兄、僕、歳の離れた弟の5人家族でごく普通の家庭環境で育ちました。
僕の地元は夜になると鹿が出たり、コンビニまで行くのに歩いて行くとかなり時間がかかったりするぐらいの片田舎です。
田舎だからこそ、小さい頃は友達と山や川、公園でも遊びましたし、夜は家でテレビを見る、ゲームをするといった、そういった生活をしていました
田舎なので、そこまで大した娯楽もなかったので、普通の子供よりもたくさんテレビを見ていたかもしれません。
そんな生活がきっかけで、僕はとある夢を持つことになりました。
その夢とは、
「東京に行ってミュージシャンになる」というとてつもなく大きな夢です。
僕がこの夢を持ったきっかけは、テレビの中で歌っている”あるミュージシャン”をみて「めちゃくちゃかっこいいな!」と感じたことでした。
そのことがきっかけで、「いつか東京に行ってミュージシャンになろう」という夢を見ることになったのです。
当時小学校5年生の僕は、11歳の誕生日に両親に買ってもらったギターを片手に、寝る間も惜しんでギターの練習しました。
そこからはとにかく音楽にのめり込むことになります。
町に出ては、路上ライブをしてたり、友達に弾き語りをしたり、当時付き合っている彼女には歌をプレゼントしたり、、、、、歌手の「ゆず」みたいな感じで、こんなことをやっていました。
今となっては「こんなこと言うの恥ずかしいな」と思いますが、当時の僕はそれぐらい音楽に夢中になっていたのはいい思い出です。
当時の僕は、
ゆずのようにかっこよく弾き語りをして、僕の想いが乗った歌をみんなに届けて聞いてもらう。
という壮大な夢を持っていたのです。
その夢を叶えるために、ひたすらギターと歌の練習をしていました。
もちろん、「ミュージシャンを目指すなら、絶対に東京!!」そう小さい頃から心に決めていたので、「東京に上京して、絶対に大きくなってやる!」と強く思ってたのを今でもはっきり覚えてます。
なので高校卒業と同時に上京しようと考えていたんですが、親の猛烈な反対にあい、ほんとに毎晩のように喧嘩していました。
なぜ反対されたのか。。。
それは、、、正直、、、お金が原因でした。
正直、僕の家庭は裕福な家庭ではなく、どちらかというと、両親が共働きで、
僕も高校生の時にはバイトをして、家族にお金を入れている状態でした。
そう言った現実を僕は見てきたからこそ、、、、
「夢を叶えて、両親や家族を裕福にさせてあげたい」といった想いは人一倍強かったです。
そういった想いを持っていたのにも関わらず、上京を反対されて、僕の心が荒れていたのを今でもはっきり覚えています。
僕の地元は人口数千人程度の小さな町だったからなのか、うちの頑固な親父は人とのつながりを誰よりも重んじる人でした。
- 「人との絆を大切にしなさい」
- 「町の人たちを家族だと思って接しなさい」
- 「家族が一番の俺の宝物だ」
という言葉を常に言っていました。
親父の教え通り、人との繋がりや家族を大切にすることを誰よりも理解していたつもりです。
だからこそ、弟だけは好きな勉強をさせるために大学に入れてやりたいという気持ちがありました。
そして、誰よりも僕のことを考えてくれているのは親だということはわかっていたので、
僕は大学には進学せずに、地元で会社員として働くことを決断しました。
働きだしてからというもの、地元の工場勤務だったので、朝8時から夜19時までひたすら単純作業の繰り返しを毎日してました。
そして、働き始めて1年ちょっとが立った時に気づいたんです。
今の会社で働き続けた先の未来を。
もしも今の会社で働き続けたとしても、
手取りは18万円もないし、
年功序列で上に上がったとしても
月収なんて40代でも30万円~35万円程度
という夢も希望もない残酷な現実に。
ですが、そこからしばらくはただ平然といつもの、仕事をして、仕事が終わったら地元の友達と遊びに行って、なんの生産性もなく、時間だけが無駄に過ぎて行く毎日を過ごしていました。
もちろん、友達と遊んでいる時間はすごく楽しかったです。
ですが、終わったあとは虚しさしか残らないんですよね。
そんな日々を繰り返しているうちに、少し前まで追いかけ続けていた「自分が本当にやりたいことを諦めたくない」という気持ちが湧いてきました。
それと同時に、「音楽をせずに、夢を忘れて、ただ呆然と日常を過ごしているこの日常が、5年後、10年後、20年後も続いてるんじゃないのか?」という恐怖も頭をよぎったのです。
また、「家族を幸せにしたいのに、このままでいいのか!?」という葛藤も起きました。
そして今後、「自分に家族ができて、子供ができた時に、本当にその金額で、このままで幸せにできるのか?」という将来への不安も湧いてきたのです。
こういった様々な感情を感じる中で、
「お金を稼ぐことはとても重要で、自分の夢や自分の家族のためにも絶対必要なんだ!」と強く思うようになりました。
そして、18~19歳の僕は本気で自分の人生を考えるようになりました。
そんな時に、僕はとある重大な決断をします。
その決断とは、
僕は本当に考え抜いたのち、当時の彼女と親を説得して会社を辞めて上京する。
という決断でした。
見送りの日にお母さんは、「風邪には気をつけるんだよ」「毎日電話しなさいよ」「いつでも帰っておいでね」と言ってくれました。
頑固だったオヤジが僕の上京を認めてくれて、一言だけ「頑張れよ」って、最後まで涙目で手を振って、贈ってくれたことを、つい昨日のことのように覚えてます。
両親には、今では、感謝の言葉しかありません。
そしてそこから数年経って、やっとの思いである程度、自分の力でお金を稼げるようになり、一人前の人間になることができました。
ここまでが僕の過去の経験です。
その経験を通して、
お金がなくてやりたい夢があるのにも関わらず、
お金が理由で夢を諦める人生は絶対にあってはならない
と思っています。
そして、あなたが家族を幸せにするためや、あなた自身の幸せのためにも、絶対にお金を個人で稼ぐ力をつけて欲しいと僕は思うんです。
大切なものを守るためには、絶対にお金が必要になります。
こんなことを言うと”銭ゲバ”や”拝金主義者”と言われるかもしれませんし、もしかするとあなたも僕に対してこんなことを思ったかもしれません。
あなたがこんなことを思ったのであれば、僕のこの質問に答えてください。
もしもあなたの大切な人が重い病気にかかってしてしまって、
今すぐ1000万円必要になったらそのお金を出せますか?
この質問に対して「出せます」と即答できましたか?
僕はすぐにでも出すことができます。
この質問は、かなり極端な質問かもしれません。
「こんな状況になることなんてありえない」と感じるかもしれませんが、今の日本の未来が危ないのと同じように、僕らの身には何が起こるかはわからないのです。
いつそういう状況が襲ってくるのかは僕にもわかりませんし、もし何かあった時に、そこから行動しても遅いと思います。
今の日本では、国債は膨らむ一方で、GDPの低下や年金制度崩壊、年功序列が崩壊して、いつでもリストラできる状況。老後に2000万円が必要であること。働き口も見つからないワーキングプア。
日本はこれだけマイナスなことが多い国なんです。
「今すぐに行動して、常に知識や力をつけておかなければならない」と僕は断言することができます。
僕は、
「人と人の絆を大切に」
という父の言葉を常に胸においています。
その言葉の通り、僕の周りに来てくれる仲間に対しては、僕ができる限りのことをしてきました。
僕の周りにきてくれる人は僕にとっては大切な仲間だと思っているからこそ、「1人残らず成功させる」と誓っています。
あなたも僕の仲間になって一緒に稼ぎましょう!
僕のYouTubeチャンネル、LINE@、ブログでは僕が実際に稼いでいる手法や有益な情報をお届けてしています。
ぜひ僕の知識を吸収してあなたの投資に役立ててくださいね。